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四国ビジョン検討7 国際舞台駆けた外交官 岡村善文氏(49:トーゴ国) 2025.5.6産経新聞

四国ビジョン検討の中で、元外務省の岡村善文大使のお話が話題になりました。貧国トーゴ、たった3年で変貌 3・11の地訪れた大統領「日本人の回復力、驚かされる」《2008年から、西アフリカのトーゴ大使を務めた。コートジボワール大使と兼務》


トーゴは西アフリカの小国です。初めてトーゴを訪れたとき、首都ロメでさえ道路がほとんど舗装されておらず、照明がなく夜間は真っ暗だった。この国の外務省には、事務用の機器もろくにありませんでした。担当省員は携帯電話を所持しておらず、連絡にも困る始末。要するに、想像以上の貧国だった。


40年近く独裁を敷いてきたエヤデマ大統領が05年に死去し、息子が後継に担がれた。世襲です。大勢の子供の中から〝一番、良さそう〟な彼を側近たちが選んだ。それが現職のニャシンベ大統領です。


《何度も会ううちに、とても優秀な大統領だ、ということを実感した》優秀というなら、バリバリと指導力を発揮する大統領だ、と思うかもしれません。違うのです。ニャシンベ大統領は「何もしない」ところが優秀なのです。ほとんど国民の前に出て来ない。演説もほとんどしない。「これをすべき」とか「これが悪い」などと政治的な判断を一切しない。


ニャシンベ大統領はその代わり、優れた人材を世界中から母国に呼び戻しました。まず、国連開発計画(UNDP)から、ウングボ氏を首相に引っ張ってきた。彼は国際農業開発基金(IFAD)総裁を経て、現在、国際労働機関(ILO)事務局長です。国連本部事務局からは、バワラ氏を開発大臣として引き抜いた。他にも、閣僚クラスに何人もそうした人物がいます。


《ニャシンベ大統領は、国家運営の全てを彼らに任せた》彼自身、米ジョージワシントン大でMBAも履修したエリートです。自分の能力に自信がないはずはない。しかし、国家運営の全てを優秀な官僚に任せ、自分は一切、口出しをしない。異色の〝リーダーシップ〟の結果、私が大使を務めたわずか3年間に、トーゴは見違えるように発展しました。


ロメの幹線道路は、欧州連合(EU)からの資金で立派に舗装された。ロメ港は、近隣港には珍しい15メートルという水深を生かし、大コンテナ港へと変貌を遂げました。ロメ空港はエチオピア航空と提携し、西アフリカ地域のハブ空港になりました。ロメの街は今、ビジネスで活況を呈しています。


《そのニャシンベ大統領が11年6月、日本を公式訪問した。大使として日本に同行した》


東日本大震災発生から3カ月後のことです。大統領は天皇陛下への拝謁、菅直人首相との会談後、埼玉の避難所を訪れ、震災で家を失った人々と面会しました。


大統領はためらいがちに、週末の京都訪問の予定を変更し、被災地を訪れることが可能か私に尋ねました。「自分の目で被害を見たい」と言うのです。


被災地を実際に訪問してもらうことは重要なこと。京都を訪れる機会は他にあるとしても、震災の惨状を目の当たりにする機会はない。京都訪問にかかわる方々には無理を言い、変更してもらいました。


《訪れた宮城県亘理町は見渡す限り、津波で破壊された家や田畑の惨状が広がっていた》

自然の力は想像を絶し、大統領は言葉を失っていた。大統領は他にも衝撃を受けていました。


「震災から3カ月も経たない。ところが、片付けがここまで進んでいる。しかも組織的かつ整然とだ。これほどの震災の後でも日本人は決して諦めなかった。日本人の回復力には驚かされる…」。


壊滅的な被害を受けた至る所で、日本中から集まってきたに違いない建機が働く様子が信じ難かったようです。


一方、県内の荒浜漁港では、サイレンが鳴り響く中、漁協幹部の菊池信悦氏らと黙祷した。ちょうど3カ月前、大津波が陸地に押し寄せた時刻です。


菊池氏は津波に危うく襲われそうになり、自身の漁船も失うなど、絶望の淵にあったそうです。しかし、心折れることなく再び立ち上がり、奇跡的に陸に打ち上げられた漁船を漁師仲間と一緒に港まで引きずった。この前日、船を初めて沖に出し、「ヒラメ5匹を釣った」と嬉しそうだった。大統領は、菊池氏の不撓不屈の姿勢に大変、感銘を受けた様子でした。

大統領は地元・仙台の新聞記者に、こう語っています。


「私は人々の強さに驚いた。ここの人々は大きな困難に直面しているのに、過去の不幸を嘆き悲しんでいない。次に何をすべきかを考え、未来に向かって進み始めている」


《大統領は訪問日程を終え、羽田空港に移動する車中で、被災地を訪問した感想を口にした》


「トーゴに戻ったら、この話をトーゴの人々に伝えます。『日本人のように、未来に向かって、『希望』を持って働こう』と」。日本での経験は、極度の貧しさにあえぎ、困窮を味わった母国を必死に立て直している大統領の心を強く揺さぶった。私は被災地の人々がどんな苦境にあっても、日本人としての強さを胸張って示してくれたことを、とても誇りに思っています。(聞き手 黒沢潤)


<おかむら・よしふみ> 1958年、大阪市生まれ。東大法学部卒。81年、外務省入省。軍備管理軍縮課長、ウィーン国際機関日本政府代表部公使などを経て、2008年にコートジボワール大使。12年に外務省アフリカ部長、14年に国連日本政府代表部次席大使、17年にTICAD(アフリカ開発会議)担当大使。19年に経済協力開発機構(OECD)代表部大使。24年から立命館アジア太平洋大学副学長を務める。



 
 
 

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